死を前にして、生きておられる神さまに出会ったイ・ジェロク牧師
死んだほうが親孝行!
ハンガン(漢江)が見える錦湖洞、その山の上の村が私の避難所であり、いこいの場でもありました。
私が重い病気を患い、その病んだ体と傷ついた心を慰めるために苦しんでいる間に、何年もの年月が過ぎ、
私の家庭は崩壊寸前になっていました。
ある日、突然訪ねてきた70才の母は、病気で寝たきりの私をじつと見つめているうちにその場に泣き崩
れてしまいました。
「いっそのことお前が死んだほうが親孝行だよ!」
母の辛さは憂いをこめた悲痛へと変わり、その時の私の悲しみは何とも言いようがありませんでした。
とめどもなく流れる熱い涙をふきながら、一度は死ぬ決心をしましたが、ある時突然、私の心の中に
「どんな事があっても生き抜こう」という思いがわき上り始めたのです。
生きるためなら何でも食べてやろう
私の病気は現代の医学では治らず、仕方なく私はあらゆる民間療法を試しました。また、
「これは病気に効く」と言われるものは何でも食べました。名前も変え、呪術者を呼んで供え物を
し、神(偶像)に祈り願う儀式など、様々な事をしてみましたが少しも良くならず、おまけにリュマ
チ性関節炎まで併発し、八方ふさがりの状態に陥ってしまいました。
生きるためならばどんなことでもしようと思っていた私は、糞尿が混じり合った汁が病気に効くと
いう話を聞き、吐き気のする臭いを我慢しながら死にものぐるいでそれを飲みました。けれど、結
局は病気が重くなり、下の世話まで人にしてもらわなければならなくなってしまいました。
神様の摂理を知らず、人間的な方法で解決しようとしていた私の病気はいやされず、生きる希望さ
えも失っていました。そのような私を見て家内は家出をし、愛してくれていた母までもが私の死を願ったのです。その悲しみ、苦しみは私に
とってどんなに大きかったことでしょう。こんな事があってもよいのかと、自分の人生を恨んだ私でした。
こんな事があり得るのだろうか?
死の谷間で7年もの年月をさまよっていた1974年の4月、私は田舎に住んでいる姉の願いをどうしても断ることが
できず、杖と姉にすがりながら「ヒョンシンエ祭壇」の集会に行きました。
そこに入った瞬間、私は驚きました。そこには大声で祈っている大勢の人たちの姿がありました。その姿が私に
はまるで何かにとりつかれた人のように見え、拒否感さえ覚えました。家に帰ろうと姉を探すと、あのおとなし
くて恥かしがり屋の姉も、手を振りながら大声で祈っていました。大勢の人の中で、弟に
目もくれず熱心に祈る姉を見ながら、私は仕方なく他の人と同じようにひざまずいて目を
閉じました。その瞬間、私の体が熱くなり、背中や体全体に汗が流れたのです。
それ以来、数々の不思議なことが私の身に起こり始めました。両方の耳の鼓膜が破れてよ
く聞こえなかったのが、人々の話し声がはっきり聞こえるようになり、また急にご飯が食
べたいという衝動が起こりました。前には一度に少ししか食べられなかったのに茶碗一杯
のご飯を食べることができて、肉も食べられるようになりました。
それだけではなく、目覚めるといつも耳や骨の節々から出ていた膿(うみ)が完全になく
なり、体全体の皮膚病と首にあったこぶまで、一瞬にして跡かたもなく消えていました。
「こんな事があり得るのでしょうか? 一晩の間にこんな奇跡が起こり得るのでしょうか
!」
一夜の夢なのか? それとも現実なのか? 、区別のつかない感激の中で、私たち夫婦は7年間の苦しみが一気に消え去って、喜んで抱き合っ
て泣きました。私は驚くべき神様の御力によっていやされてから、「ヒョンシンエ祭壇」でひざまずいて、「神様! ありがとうございまし
た。神様は本当に生きておられるのですね。神様は私のすべての病気をいやしてくださいました」と感謝の祈りをささげました。
私のこの病気の体を完全にいやしてくださった神様に、限りない感謝をおささげいたします。
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