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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第49課 私たちの場所と冠  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-12-05


読むみことば: ヨハネ14:1-6
覚えるみことば: ヨハネ14:2-3

教育目標

天国と冠の分類について調べ、各人の信仰の量りに応じて将来住む場所と冠が違うということを悟って、天国を激しく攻めていく人になる。


1. 天国と冠の分類

多くの人が天国はあると知ってはいても、天国の構造がどうなのか知りません。また、人によって信仰が違って行ないが違うのに、どうして同じ天国に行くのだろうかと疑問を持つようになります。
[ヨハネ14:2]に「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。」とあるので、天国は一つではなく二つ以上、いくつかある所だということを悟らなければなりません。聖書はあちこちに、種を蒔けばその刈り取りもすることになり(ガラテヤ6:7)、行ないに応じて報いをなさる(マタイ16:27、黙示録2:23)正しい神について記しています。ですから、天国もいくつかの所に分けられていて、信仰の量りに応じて違う天国が与えられることは当然なことです。
天国はものすごく広い所で、この世とは比べられないほど美しくてすばらしい所であり、パラダイス、一天層、二天層、三天層、新しいエルサレムに分けられています。パラダイスは天国の中でも一番劣っていますが、神がアダムとエバを創造してから置かれたエデンの園よりずっと美しい所です。また、天国の中で最も美しい所は神の御座がある新しいエルサレムです。
このように天国がいろいろな所に分けられているように、報いとして与えられる冠もいくつか種類があります。朽ちない冠、栄光の冠、いのちの冠、義の栄冠、金の冠などがあって、信仰に応じて報いとして与えられるようになります。


2. 信仰の量りに応じて違う場所と冠

1) 信仰の一段階: パラダイス、冠なし
パラダイスはこの世と違って、涙、悲しみ、苦しみのない美しい所ですが、天国の中では一番劣っています。信仰の一段階、すなわち、聖霊を受けるほどの信仰(救われるほどの信仰)を持っている者が入る所です。[ルカ23:42-43]で、犯罪人のひとりが「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言うと、十字架につけられたイエス様は「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と答えられました。結局、十字架刑にあわれたイエス様は三日間、捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べて(第一ペテロ3:19)、よみがえられた後、四十日間この地上にとどまってから昇天し、神の御座の右に着座されてすべてをつかさどっておられます。
それでは、イエス様が「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われた意味は何でしょうか? これは、犯罪人のひとりが十字架の上で悔い改めて、イエスを救い主として受け入れて救われたことを意味します。それで、今後パラダイスにとどまることをご存じなので、信仰の目で見てこう言われたのです。
犯罪人のひとりはなぜパラダイスにいるようになるのでしょうか? 天国は行なったとおり報いてくださる、報いのさばきが基準だからです。ただイエス・キリストを受け入れただけで、罪と戦って捨てることもなく、使命を果たしたのでもない犯罪人のひとりは、冠が与えられないで、天国で一番劣っているパラダイスに住むしかないのです。

2) 信仰の二段階: 一天層、朽ちない冠
救われれば、次は聖霊に助けられて、熱心に神のみことばを聞いたとおり行なおうとする信仰に育つようになります。この時は信仰の二段階です。このような信仰を持っている人には、天国の一天層に入る資格が与えられます。
それでは、一天層に入る者にはどんな冠が与えられるのでしょうか? [第二テモテ2:5-6]に「競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです。」とあります。運動選手が競技の規定に従って競技をしてこそ賞が受けられるように、神のみことばに従って競技してこそ、冠を得ることができます。
たとえば、真理のみことばに主日を守りなさいとあり、兄弟を憎んではならないとあるなら、主日を守って、兄弟を愛して、みことばを守って行くとき、冠が受けられるようになるのです。クリスチャンになったと言いながら、神の法である霊の世界の法則を無視すれば、これは知識的な信仰にすぎないので、規定に従って競技しない運動選手のようなものであり、競技に参加したと言えないので、冠を受けることができません。しかし、まだ信仰が弱いといっても、行なおうと努力するなら競技に参加したと言えるので、規定に従って競技した者になります。それで、このような人には名前はつかないけれど朽ちない冠が報いとして与えられるようになります。

3) 信仰の三段階: 二天層、栄光の冠
信仰の三段階、すなわち、神のみことばどおり行なえる信仰の段階に入れば、二天層に住むことができます。この時は、罪と血を流すまで戦って捨てて行く段階なので、言葉と行ないが変えられて、世で光と塩の役をしながらキリストの香りを発して、クリスチャンとして模範になるので、神に栄光を帰すようになります。
人が日の下でどんなに労苦しても何の益にもならないと書いてあるので(伝道者1:2-3)、この地上でいくら良いものであってもつかの間にすぎず、名誉、知識、権力、財物がいくら多くても、神に栄光を帰さないなら、どれほどむなしい人生でしょうか? しかし、信仰の三段階になれば、行ないと真実をもってすべてのことをするようになるので、周りから「あんな人のようなら私も教会に通おう」と言われるようになります。それで、神は栄光をお受けになるので、報いとして冠を与えられるようになります。
それでは、神は信仰の三段階に入って二天層に住む資格を得た聖徒に、どんな冠を与えられるでしょうか? [第一ペテロ5:3-4]に「むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」とあります。すなわち、群れの模範となる者、神に栄光を帰す者には「栄光の冠」が与えられるのです。この世の富と誉れは結局はしぼんでなくなりますが、神が下さる冠はしぼむことのない、この世のものとは比べられないほど美しいものです。

4) 信仰の四段階: 三天層、いのちの冠
信仰の四段階、すなわち、神をこの上なく愛する信仰の段階に入れば、あらゆる試練と患難をすべて通り抜けて勝ち、罪と悪をみな捨てて、イエス様に似せられて聖められた者になります。また、死に至るまで忠実であるので、三天層に住める資格が与えられます。
[マタイ5:10-12]に「義のために迫害されている者は幸いです。天国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」とあるように、神が尊く思われ、天の軍勢と御使いたちによって護衛させて、栄光の雲でともにおられます。
それでは、信仰の四段階に入って三天層に住む資格を得ると、どんな冠が与えられるでしょうか? [黙示録2:10]に「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」とあります。「死に至るまで忠実である」とは、肉的な奉仕でなく、神を愛して、神に喜ばれるために世と妥協しないで死に至るまであらゆる罪と戦って捨てたということです。これは「自分」がないということであり、いのち尽きるまで戦って自分のいのちをささげたということなので、神がいのちの冠を下さるのです。[ヤコブ1:12]にも「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」とあるので、神をこの上なく愛する者は死に至るまで忠実であって、すべての試練に耐えるということがわかります。

5) 信仰の五段階: 新しいエルサレム、義の栄冠、金の冠
信仰の五段階、すなわち、神に喜ばれる信仰の段階に入れば、聖められて全家を通じて忠実である者なので、新しいエルサレムに住むようになります。韓国の首都であるソウル特別市の中に大統領が住む官邸があるように、天国の三天層の中には、神の御座がある新しいエルサレムがあります。神の御座がある所なので、天の軍勢と御使いたちが護衛して、栄光の雲が取り巻いているので、どれほど美しくてうっとりする所でしょうか。
新しいエルサレムは長さも幅も高さも同じで、一万二千スタディオンであり、十二の真珠門があって十二部族の名が書いてあり、十二の土台石には十二使徒の名が書いてあり、十二人の御使いが守っていて誰でも入れる所ではありません(黙示録21:7-8)。聖められたといっても行ないが完全に伴うのではないので、全家を通じて忠実であり、八つの幸いが完全に臨んでこそ、新しいエルサレムに入るようになるのです。イエス様の十二弟子も、聖霊を受ける前はイエス様を知らないと言ったりしましたが、聖霊を受けた後は一気に変えられて聖められていき、福音を宣べ伝えて、ついに殉教したのです。ですから、新しいエルサレムの土台石に名が書いてあるのは当然のことです。
それでは、新しいエルサレムに住む者には、どんな冠が与えられるでしょうか? 正しい神は、神に喜ばれる信仰の持っている者に、二十四人の長老たちがかぶる金の冠(黙示録4:4)や使徒パウロに下さった義の栄冠を下さいます(第二テモテ4:8)。
今まで信仰の段階によって今後天国に住むようになる場所と与えられる冠について調べました。一天層と二天層に入れば、御使いが付き従わないし、栄光の雲で取り巻かれることもないけれど、三天層以上に入れば、神が尊く思われるのでそれほど栄光の光が変わります。[箴言17:3]に「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」とあるので、心をためされる神の愛を悟って、新しいエルサレムを望んで義の栄冠、金の冠を得るために、悪はどんな悪でも避けて、全家を通じて忠実である幸いな聖徒になりますように。

 
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