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メッセージ >
聖書の学び
Title
第13課「祈っても答えられない理由」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2013-03-29
読むみことば: マタイ15:21-28
覚えるみことば: 第一ヨハネ3:21-22
参考にするみことば: マルコ11:24
教育目標: 祈っても答えられない原因をよく悟って、カナン人の女のように信仰の行いと告白によって答えられる聖徒になるようにする。
いくら悪い親であっても、自分の子がパンを下さいと言うときに石を与えたり、魚を下さいと言うのに蛇を与えたりはしません。何としてでも最も良いものを食べさせて着せようとするのが親の心なのです。まして愛なる神はどれほど良いものを子どもたちに与えようとされるでしょうか。マタイの福音書15章に記されているカナン人の女を通して、答えられる秘訣を調べてみます。
1. 答えを引き下ろしたカナン人の女
[マタイ15:21]以下には、ひどく悪霊に取りつかれている娘を持ったカナン人の女が、どんな信仰の行いで答えられたのかがよく書かれています。目に入れても痛くないほど愛している娘がひどく悪霊に取りつかれて苦しんでいる姿を見るたびに、母親の胸はじりじりしていきました。
いつも娘のことで心を痛めていた彼女に、ある日、良い知らせが聞こえてきました。悪霊を追い出して、いろいろな病気とわずらいをいやされているイエス様が、まさに自分の村に来られたというのでした。
女は喜んで、飛ぶように走って行き、大声でイエス様を呼びました。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」と娘から悪霊を追い出してくださいと頼みました。
ところが、不思議なことにイエス様は一言もお答えになりませんでした。かえって弟子たちがみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と願うほどだったのです。しかし、イエス様は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われました。つまり、イスラエルの民だけを顧みるということです。
普通の人なら、こんな言葉を聞いてさびしく思うこともあるでしょうが、女は全くそうではありませんでした。むしろイエス様の前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と切に求めます。ところが、イエス様はさらに「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われて、女を犬並に扱うことまでされました。
これは女の信仰をテストしてみるためでした。もし他の人がこんな言葉を聞いたら、犬扱いされたことにひどく憤慨して、自尊心が傷ついて帰ってしまったでしょう。しかし、女は自尊心が傷ついたり、さびいしいと思ったりしませんでした。娘がいやされることさえできれば、もっとひどいことでも耐えしのげる、へりくだった姿でした。
それで、自分を徹底的に無にして「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」とへりくだって申し上げました。信仰の告白とへりくだった姿で最後まで求める女に、イエス様は「あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と答えてくださいました。すると直ちに娘から悪霊が出て行って、完全になりました。
私たちもこのように答えられようとすれば、何よりもみこころどおり求めなければなりません。また、へりくだって自分を無にして、信仰を最後まで見せなければなりません。
2. 祈っても答えられない理由
神は聖書のあちこちで、私たちの求めと祈りに答えられることを約束されました。[ヨハネ14:13]に「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」とあるとおりです。
ところが、信仰生活をちゃんとしていて、絶えず祈っているというのに、答えられない理由は何でしょうか?
1)心に不義をいだいて祈るからです
[詩篇66:18]に「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあり、[イザヤ59:1-2]には「見よ。【主】の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」とあります。このように私たちの心に不義があるなら、敵である悪魔・サタンが祈りを妨げるので、答えをいただけないのです。自分の罪を徹底的に悔い改めて求める時でこそ、答えられることができます。
2)兄弟と平和でない状態で祈るからです
[マタイ18:35]には「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」とあります。自分に間違ったことをした兄弟を心から赦さなければ、自分も神に赦されることができないということです。ですから、祈っても神に立ち上らないで、答えが与えられないのです。夫婦や親と兄弟の間に、あるいは隣人との間に、争いや平和でないことがあるなら、まず和解してから祈らなければなりません。
3)欲をもって祈るからです
神は「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」(第一コリント10:31)と言われました。神の栄光でなく、自分の欲や快楽を満たすための祈りには、神はお答えになりません(ヤコブ4:2-3)。
たとえば、優しくて勉強もよくできる子どもが必要な物を言えば、親は喜んで聞いてあげます。ところが、ふだん行いが正しくなくて、信頼しにくい子どもがお小遣をほしいと言えば、もしかして悪いところに使うのではと心配して、あげないのと同じです。
4)疑いながら祈るからです
[ヤコブ1:6-7]に、ただし、少しも疑わずに、信じて願ってこそ、答えられるとあります。神は信仰によって祈ることを喜ばれます(ヘブル11:6)。[マルコ11:24]に「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」とあるので、疑わずに信仰によって求めなければなりません。そうする時でこそ、神が答えてくださいます。
5)戒めを守らないで祈るからです
[ヨハネ14:21]に「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」とあります。戒めを守ることが神を愛することであり、そのような人が神と主の愛を受けることができるということです。私たちが戒め、すなわち、神の命令を守り、神に喜ばれることを行えば、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます(第一ヨハネ3:21-22)。
反対に、戒めを守らなければ答えられません。もしこのような人に答えを与えれば、神の公義に合わないだけでなく、戒めを守ろうと努力しないはずだからです。[箴言8:17]に「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」とあるので、神を愛してその命令を守る人は、熱心に神を捜して生ける神を見つけることで答えがいただけるのです。
6)信仰によって蒔かないで祈るからです
[ガラテヤ6:7]に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」とあるので、蒔かなくては刈り取れません。祈りで蒔けばたましいに幸いを得ている祝福を、物質で蒔けば物質の祝福を受けます。奉仕で蒔けば健康になるなど、何でも蒔けばその刈り取りもするので、答えられようとするなら、信仰によって熱心に蒔かなければなりません。
神を愛する人は、答えられる問題や感謝の条件がない時も、まめに蒔きます。救ってくださった恵みだけでもこの上なく感謝だからです。しかも答えられなければならないことがあるなら、さらにまことを尽くして蒔くでしょう。このような人はいつもあふれるように祝福されながら生きていきます。もし神の御前に蒔かないで答えられることを願ったとすれば、これを悔い改めて、喜びと感謝をもって蒔きますように。
皆さんは今どんな祈りをしているでしょうか? 答えられる祈りをしているのか、答えられない祈りをしてはいないのか、自分をよくチェックして、神に喜ばれる祈りで多くの答えを引き下しますように。
* まとめと適用
1. カナン人の女がイエス様に犬扱いされたとき、どんな信仰の告白をしたでしょうか?(マタイ15:27参照)
_______________________________________________
2. 次の説明の中で、正しくないものを選んでください。
①欲をもって祈れば、答えられることができない。
②兄弟と平和でない状態で祈れば、答えられない。
③心に不義をいだいて祈れば、答えてくださらない。
④疑いながら祈っても、答えていただける。
* 今週の課題
神様は私たちにいつもまことの祝福を与えることを願っておられます。ところが、私たちがそれを受けられないとしたら、何が問題でしょうか? 祝福される秘訣とは何でしょうか? 次回までに考えてきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「悪霊」とは?
悪い霊に属する霊の世界の存在である。堕落した御使いとは違って、世界が創造される前に造られたものではない。悪霊は本来、霊、たましい、肉を持っていた人だった。救われないで死んだ人の一部が、特別な条件によって世に出てきて悪霊になる。悪霊は悪い霊の世界で一番序列が低く、悪魔の手下の役割をする。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
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