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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第11課「神の望まれる祈りの要領」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-03-16


読むみことば: エレミヤ33:3
覚えるみことば: エレミヤ33:3
参考にするみことば: 詩篇66:18、マタイ6:26-28
教育目標: 神の望まれる祈りの要領をよく知って、心を尽くして火のように祈る聖徒になるようにする。

イエス様が汗が血のしずくのように地に落ちるほど祈られた姿を通して、心を集中する祈りは姿勢から始まることがわかります。人々の祈る姿勢だけ見ても、どれほど切に祈っているのか推察できます。エリヤは自分の顔をひざの間にうずめるほど、苦しみもだえて切に祈って、三年半の間降らなかった雨を降らせました。神に喜ばれ、神の望まれる祈りをささげたからです。それで、今回は神の望まれる祈りの要領とは何か調べてみます。


1. 神の望まれる祈りの要領

1)心を尽くして祈らなければなりません
心を尽くして祈るとは、心と知性、力とまことを尽して祈るという意味です。姿勢も正しい姿で、心を込めて切に祈るのです。必ずしも長い時間祈るからといって、心を尽くした祈りなのではありません。短い時間祈っても、集中して聖霊に満たされて祈ることが大切なのです。
それでは、どうすれば心を尽くして祈ることができるでしょうか? それは神が自分をご覧になって、自分の祈りに耳を傾けておられることを信じて祈るのです。神がご覧になっておられるのに、居眠りしたり、同じことばをただくり返したりできないのです。
また、祈る時に、何よりも神の恵みに感謝して、神の国のために切に祈らなければなりません。聖霊に働きかけられて、神のお心を深く理解して祈ることに努めなければならないのです。
それだけでなく、いやいやながらではなく、信仰と愛を持って祈るとき、心を尽くした祈りをささげることができます。心を尽くした祈りは、真心が神にそのまま伝えられます。愛そのものであられ、良いものを惜しまず与えたいと願っておられる神の御前に、心を尽くして信仰によって求めるなら、どうして答えられないでしょうか。したがって、祈るとき、心を尽くして祈り、不可能なことは一つもない神の力を信じて、神に喜ばれなければなりません。

2)主を呼び求めて祈らなければなりません
イエス様は神の御子であるにもかかわらず、汗が血のしずくのように地に落ちるほど切に神を呼び求めて祈られました。決して静かに祈られませんでした。声を出して祈るのは神のみこころだからです。
[エレミヤ33:3]で、神は「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」と約束されました。神が「わたしを呼べ。」と言われた理由は、声を出して祈るとき、雑念や疲れ、眠気が襲ってこないで、心を尽くして祈れるからです。
ところで、ある人は[マタイ6:6]を引用して、「祈るときには自分の奥まった部屋に入って、戸をしめて、隠れた所におられる父に祈りなさいと書いてあるではないですか」と言います。また、「神様は私が何が必要なのか全部ご存じなのに、声を出して祈る必要があるのでしょうか」と言います。
聖書のどこにも、奥まった部屋に入って祈ったと書いてある人はいません。イエス様は山や寂しい所で祈られました(ルカ6:12;マルコ1:35)。ペテロは屋上で祈り(使徒10:9)、使徒パウロは祈り場を探して祈りました(使徒16:13)。
したがって、「奥まった部屋に入って祈りなさい」というみことばのまことの意味は「心を尽くして祈りなさい」ということです。奥まった部屋に入って戸を閉めれば、外部と遮断されるので静かだし、集中して祈ることができます。これは、言いかえれば、自分のすべての思いと雑念、世の憂いと心配を捨てて、心を込めて祈りなさいという意味です。
もし声を出さないで静かに黙想して祈れば、心を尽くした祈りになりにくいです。夜、静かに目を閉じて祈ってみれば、疲れが押し寄せて眠くなりやすく、世の憂いや心配、雑念と戦って、疲れて寝てしまったりするのです。
空中の権威を持つ敵である悪魔・サタンの陣を打ち破って、天の御座に立ち上る祈りをしようとするなら、切なる心で主を呼び求めて祈らなければなりません。そうするとき、聖霊に満たされて、試練や患難が退くなど、大小の問題が解決されます。

3)信仰を持って祈らなければなりません
私たちが心の戸を開いてイエス・キリストを受け入れれば、聖霊が臨んで、神の子どもという証印を押してくださいます。だんだんと主日を守って、祈りの生活をしながらみことばどおり行おうと努力すれば、信仰が成長します。神は、私たちが祈るとき、ひとりひとりの信仰のとおりに答えられます。
どんな環境でも揺るがないで信仰によって祈れば、神はその信仰をご覧になって、さらに大きい答えを下さり、すべてのことを働かせて益としてくださいます。私たちが努めて祈りを積んでいけば、天から与えられる力によって強くされ、罪と悪をもっと簡単に捨てられます。また、みことばどおり行って、主に似せられていくほど、あふれる祝福をいただくようになります。
このように答えと祝福をいただくための信仰を持つには、自分の努力も大切ですが、神が与えてくださる「生きた信仰」がなければなりません。神が下さる「生きた信仰」とは「行いの伴う霊の信仰」です。私たちが自ら信仰を持とうと、熱心にみことばに聞き従って実践しながら祈っていけば、神が心に信じられる生きた信仰、霊の信仰を与えてくださいます。このように自分の努力と神が下さる霊の信仰がぴったり合うとき、直ちに答えられることができるのです。
祈るとき、答えられたという確信が炎が燃えるようにやって来ることがあります。それは神が下さった霊の信仰であり、そのような力ある信仰が臨めば、すでに答えられたのです。したがって、私たちは少しも疑わずに「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。」(マルコ11:24)とあるように、心に確信が与えられる時まで祈って信じ、求めるものは何でもいただける、幸いな人(マタイ21:22)にならなければなりません。

4)目的のある祈りをしなければなりません
ある事への目的が明らかならば、さらに力強く進めて、より早くやり遂げられます。一方、目的がはっきりしないなら、その方向が定まりません。小さい困難がやって来ても、なぜその事を始めたのか忘れてしまい、へたり込んでしまうのです。
私たちが神の御前に祈る時も、明確な目的がなければなりません。大胆に神の御前に出ることができるなら、求めるものは何でも神からいただくことができると約束されました(第一ヨハネ3:21-22)。
私たちが神の御前に求めるとき、得ようとする目的がはっきりしているならば、もっと切に忍耐をもって祈らなければなりません。私たちの必要をご存じの神が非難されるところのない私たちの心をご覧になって、あふれるほど満たしてくださるからです。

5)愛の祈りをしなければなりません
[ヘブル11:6]に「神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。自分の祈りが答えられ、天国で報われるということを信じるなら、祈ることが疲れるとか難しいと感じられません。イエス様がすべての人にいのちを与えるために切に祈られたように、私たちも魂を愛する心をもって、切に求めることができるのです。
私たちが行いと真実をもって愛すれば、自分より相手の利益をまず求めるようになります。神が望まれる愛の祈りは「神の国とその義とをまず第一に求めることであり、仕えている牧者と魂のために祈ること」です。
このような愛の祈りも、どんな心をいだいてするかによって、違うみわざが現れます。神を愛するので義に飢え渇いている心で、教会と牧者と魂のためにささげるのが真実な愛の祈りです。つまり、霊の愛が臨んでみこころを悟り、神の国を建て上げるために、主人の心で祈らなければなりません。
たとえば、聖殿建築のために祈るとき、主のからだなる聖殿を愛する人は、自分の家を建てるよりもっと心とまことを尽くして求めます。聖殿建築に必要な土地と財政、働き人と技術力など、聖殿を大切にして愛する心から、すべてを一つ一つ切に求めるようになるのです。
イエス様は神とすべての人類を愛する心をもって、みこころを成し遂げるために苦しみもだえて切に祈られました。そうして私たちに救いの道が開かれて、神の子どもとされる特権を得るようにされました。私たちはこのような恵みを受けたのですから、主に似せられた善と愛を心に耕して、いつもかぐわしい祈りの香をささげますように。


* まとめと適用

1. 神様が望まれる祈りの要領について書いてください。
第一
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第二
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第三
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第四
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第五
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2. 「奥まった部屋に入って、戸をしめて祈る」というみことばの霊的な意味は何でしょうか?

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* 今週の課題

神様が望まれるように祈っても、なかなか答えが来ない時があります。なぜでしょうか? 次回までに考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「霊の信仰」とは?
無から有の創造を信じる信仰である。霊の信仰とは、自分が学んだ知識や思いに合わなくても、神のことばならすべてを信じ、一度信じたことは現実と条件に関係なく、移り変わらないで信じる信仰である。また、頭で知っている知識で終わるのではなく、行いで証拠を見せる信仰である。

 
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