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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第44課 「心を尽くした一千頭の全焼のいけにえ」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-10-30


読むみことば: 第一列王3:4-12
覚えるみことば: 第一列王3:5
参考にするみことば: マラキ1:6-9


教育目標

神が喜ばれるほど心を尽くして、あふれるまでに祝福されたソロモン王を通して、答えと祝福の秘訣を悟る。

「至誠天に通ず」という言葉があります。心を尽くすことがどれほど大切なのか教えてくれる言葉です。これは、何をしても真心をもって事に当たれば、それがかなえられるということを表しています。イスラエルのソロモン王は神の御前に一千頭の全焼のいけにえをささげて、彼の先にも、後にもなかった知恵はもちろん、富と栄光までいただきました。


1. 心を尽くして一千頭の全焼のいけにえをささげたソロモン

ソロモンはBC970年から930年まで、40年間イスラエルを統治した王です。ダビデ王が統一王国イスラエルの政治、経済、軍事などの基盤を築いた後だったので、安定した中で国を治めることができました。預言者ナタンの信仰教育を受けて成長したソロモンは、【主】を愛して、父ダビデのおきてに歩んでいました。ダビデに続き王となったソロモンは、心を尽くして一千頭の全焼のいけにえをささげました。
全焼のいけにえとは、いけにえとして持ってきた動物を一つ一つ切り分け、火で焼いてその香りをささげることで、多くの労苦と誠意が必要です。これは最も一般的ないけにえであり、命をささげて、神が命じられたすべてのおきてを守るという心を込めてささげるものです。今日で言えば、神の御前に霊とまことによってささげるすべての礼拝がこれに当たります。神の御前に完全な犠牲と献身、自発的な奉仕を表す全焼のいけにえを、ソロモンは一千頭もささげたのです。
イエス様がご自分の身をいけにえとしてささげて人類を救われたように、私たちも礼拝をささげる時に、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなければなりません。ですから、礼拝は、喜びがなく、疲れて居眠りしながら、雑念にふけりながらささげてはいけません。私たちが天の望みにあふれて喜びで満たされ、救いの恵みと主の愛に感謝して祈る心をもってささげてこそ、神が喜ばれるのです。
いけにえをささげる時も、どれほど心を込めて、信仰をもって、愛をもってささげるのかが大切です。神は「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(第二コリント9:7)と言われました。
イエス様はある貧しいやもめが献金箱に献金するのをご覧になってほめられました(マルコ12章)。やもめが献金したのはイスラエルの一番小さい貨幣単位であるレプタ銅貨二つにすぎませんでしたが、彼女にとっては生活費の全部でした。イエス様はそのやもめの心をご覧になってほめられたのです。このように、神は心を尽くして喜んでささげると、喜ばれて祝福されます。
ソロモンの一千頭の全焼のいけにえをお受けになった神は彼の夢に現れて、「あなたに何を与えようか。願え。」と仰せられます。彼は、王として善悪を判断して、民をさばくために聞き分ける心を願いました。神はソロモンが自分のために名誉や富を求めなかったことを喜ばれ、ソロモンが求めた知恵の心と判断する心はもちろん、願わなかった富と誉れまでも与えられました。


2. 神に喜ばれる信仰と祝福

私たちがどのように心を尽くして、誠意をもって仕えるがとても大切です。神が立てられた主のしもべや、両親に仕える時も、隣人や兄弟、その他の誰かに仕える時も、心を込めて仕えなければなりません。神は人の心をご覧になります。ソロモンは神を恐れて仕える心で、自分としては最善を尽くして全焼のいけにえをささげました。神はそのようなソロモンの心と思いを知っておられたので、神殿を建築するようにされたのです。
ソロモンの心がどうだったのか、神殿建築の過程を通して調べてみましょう。王になってから四年目に取りかかった神殿建築は、完工するまでに七年かかりました。ソロモンは心を尽くしてまことに美しく精巧に建築しました。たとえば、石切り場で完全に仕上げられた石を持ってきて、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれないよにしました。神殿の内側の壁は、杉の板で張ってから、純金を着せて石が見えないようにしたし、神殿の周囲の壁には、すべて、奧の間も外の間も、ケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を彫りました。神殿の前には、柱を二本作りました。そして鎖を作り、これを柱の頂に取りつけ、ざくろを百作り、鎖のところに取りつけました。また、神殿の用具、すなわち、燭台と花模様、ともしび皿と心切りばさみ、そして、心取りばさみと鉢、平皿、火皿などを、金で作りました。このようにソロモンは神を恐れる心で最善を尽くして、美しくて精巧に、そして勇壮に建築しました。
私たちが礼拝をささげるにも、祈るにも、献金をささげるにも何をするにも、心を尽くして神に喜ばれるなら、神は大きな祝福をもって報いてくださいます。それなら、私たちに祝福を与えようとされる神に何を求めればよいでしょうか? 神の御前に求めるとき、私たちの心は民を治めるために知恵を願ったソロモンのようでなければなりません。自分の利益ではなく、相手の利益のために、使命を果たすために、魂たちのために求めれば、神は喜ばれ、願ってもいなかったものまでも豊かに満たしてくださいます。
シュネムの女は、神の人エリシャがその地方を立ち寄る時は食べ物をもてなして、休める部屋を用意しておきました。その女の仕えに感動したエリシャが何が必要なのか聞いたけれど、何も求めませんでした。何かの代価を願ってしたことではなかったからです。エリシャは、自分に仕えていた若い者から、女に息子がいないことを知り、翌年のこの頃に、息子を抱くようになると言いました。心を込めて神の人に仕えると、願ってもいなかった祝福を受けたのです。


3. 神の御前に心を尽くして、誠意を示した人々

ナアマン将軍はハンセン病をいやしてもらうために、エリシャを訪ねて行くとき、心を込めて多くの金銀と晴れ着を持って行きました。エリシャはそれを受け入れなかったけれど、ナアマンにはそれほどの誠意があったから、いやしてもらうことができました。
また、アブラハムは通り過ぎる旅人もおろそかにせず、まるで主に仕えるようにもてなしました。それで、御使いたちを、それとは知らずにもてなして、待ち望んでいた息子を生むという祝福の預言を再び聞きます。
ヤコブは自分を憎んでいる兄エサウの心を動かすために、最善を尽くしてささげ物を用意しました。雌やぎ二百頭、雄やぎ二十頭、雌羊二百頭、雄羊二十頭、乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭を、一群れずつをそれぞれしもべたちの手に渡して、兄の恨みを解こうとしました。神がエサウの心をつかさどられて和解できましたが、ヤコブの誠意も兄の心を動かすほど感動的でした。
イスラエルの子孫が荒野で天幕を作った時も、民が心から進んで奉納物をささげました。どんなにたくさんささげたのか、モーセが、これ以上は奉納物のために仕事をしないようにと言うほどでした。神への民の誠意がそれほど大きかったのです。
ザアカイの慕う心と誠意も同じです。背が低いザアカイは、イエス様を見るために、自分の顔や地位などは考えないで、いちじく桑の木に登りました。彼の慕う心を知っておられたイエス様は「ザアカイ。 急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われます。ザアカイはどれほどうれしかったでしょうか。感激したザアカイはイエス様に「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と言います。イエス様は「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」と救いの祝福を下さいました。
このように、神は私たちの心を探られ、誠意を尽くして行なうことをご覧になって、そのしわざに応じて、人に報いてくださいます。新約時代の預言者アンナは、宮を離れず、夜も昼も断食と祈りを持って神に仕えて、みどりごイエス様を見てわかりました。預言者サムエルの母ハンナは、長い間みごもれなかったとき、涙で祈って息子のサムエルを産みました。また、誓願を守って、もっと多くの子どもを産みました。エリシャは最後まで師のエリヤに付き従う誠意を見せたので、師の霊の、二つの分け前が自分のものになりました。
<ガラテヤ6:7>に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」とあります。皆さんは何をしようが神に心を尽くし、誠意をもって仕え、求めることは何でも答えられて、祝福があふれますように。


* まとめと適用

1. 皆さんもソロモンのように、神様が喜ばれる一千頭の全焼のいけにえをささげているでしょうか?

2. それなら、皆さんは神様に何を願って、答えられたいでしょうか? まず本文のソロモンの夢に現れた神様とソロモンの対話を交代に読み、次に下の文を自分なりに作ってみましょう。
神様(A): あなたに何を与えようか。願え。
ソロモン(B): ______________________________________________________
神様(A): ______________________________________________________


* 今週の課題
自尊心を捨てて、徹底的に低くなるにはどうしたらよいでしょうか?「主よ。私をお助けください。」と、イエス様の前にひれ伏して求めた女性の記述は聖書のどこにあるでしょうか? 次回までに探してきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「一千頭の全焼のいけにえ」とは?
「全焼のいけにえ」とは、いけにえとして持ってきた動物を部分に切り分けて、祭壇の上で火に焼いて煙にする主へのなだめのかおりである。今日では、私たちが神の御前に霊とまことによってささげる礼拝を意味する。ソロモンが神に喜んでいただくために一千頭の全焼のいけにえをささげたことから、今日の「一千頭の全焼のいけにえ」とは、心を尽くして誠意を示す、すべての信仰の行ないを意味する。

 
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