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メッセージ >
聖書の学び
Title
第33課 「ダニエルと三人の友だちの善(2)」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-08-20
読むみことば: ダニエル3:17-18、6:21-22
覚えるみことば: ダニエル3:18
参考にするみことば: 箴言17:9
教育目標: ダニエルと三人の友だちの神に喜ばれる善を見ならい、いつも神の愛と祝福を体験する聖徒になるようにする。
ダニエルと三人の友だちは神が嫌われることなら、自分たちも徹底的に嫌い、命を失うとしても絶対妥協しませんでした。神の御前で信義を捨てなかったので、まことに「善だ」と認められたし、より大きい名誉と権威を得るようになりました。
今回は、神が感動されたダニエルと三人の友だちの善なる言葉の告白と、彼らの善なる心について調べてみます。
1. もしそうでなくても
ネブカデネザル王が金の像を造って、像の奉献式に太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、出席させることにしました。その中にはダニエルの三人の友だちもいました。王は金の像にひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれると脅しました。しかし、三人の友だちは炉の中に投げ込まれる試みの中でも、偶像を決して拝むまいと決然とした意志を示します。「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。」と大胆に信仰の告白をしたのです。
このように神の御前で信義を守るために、命を失っても絶対妥協しない心を、神は善と認められましたが、続く告白を見れば、善の感動が臨まないわけにはいきません。「しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」と言ったのです。神が自分たちを炉からで救い出してくださらなくても、決して偶像を拝むまいという悲壮な信仰の告白をしました。これは、神が救い出してくださることに対する確信がないからではなく、神が救い出してくださらないとしても、神に対する信頼と愛は変わらないことを深い善の心から告白しているのです。
彼らには、魂の主人である神に全面的にゆだねる完全な信頼がありました。死ぬことと生きることが神のみこころのうちにあり、自分が行なうべきことを行なったので、神も自分にこれくらいしてほしいという心が少しもありませんでした。仮に命を失っても、決して神を恨んだりつらいと思ったりしない心でした。
このような善なる心があれば、どんな状況に置かれても、むなしくなったり、気を落として絶望したりしません。神を信じて、神のみこころに従って蒔いて行なったことを、神がすべて受けられたということだけでも、満足する心だからです。また、神の思いは人の思いより高いので、今すぐは自分の思いどおりならないとしても、心から神を信頼すれば、必ず最も良いもので報いてくださることを信じるからです。何かを下さろうが下さらなかろうが、また自分の思いと全く違う状況に導かれても、すばらしい神に対する信仰が決して変わらないならば、神も「まことに善だ」と認められて、最も良いもので報いてくださいます。
ダニエルの三人の友だちも、普通より七倍熱くした炉に投げ込まれましたが、神が守ってくださったので、かえってもっと大いに栄光を帰すことができました。神が王の心に働きかけられると、ダニエルの三人の友だちを炉に投げ込まないこともできました。しかし、炉に投げ込まれることを許されたのは、信仰の証拠を善の心で現すことをご存じだったからです。神はどこの誰も反論できない確かな信仰の証拠とみなして、三人をさらに祝福して神の栄光を大いに現されたのです。
このことから、自分の思いと違って困難がやって来るとしても、神を信じて、行なって蒔いたこと自体に満足して、変らず感謝しますように。そうすれば、神も必ずそれ以上の大きな驚くべき祝福をもって報いてくださいます。
2. 王さま。永遠に生きられますように。
1)自分にはかりごとを企んで殺そうとする相手にも、害を及ぼすまいとする心
ダニエルはペルシヤの王ダリヨスの時代に、全国を治める三人の大臣のうちひとりで、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていて、王の寵愛を受けました。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思いました。すると大臣や太守たちがダニエルをねたんで、窮地に追い込もうとします。国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めましたが、何の口実も欠点も見つけることができませんでした。すると、今度はダニエルが律法に従って祈ることを口実に、はかりごとを企みました。つまり、ダニエルが日に三度エルサレムに向かって神に祈ることを利用して、三十日間、王以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると、禁令として実施するようにしたのです。
ダニエルは王に信任を得て愛されていたので、悪い者たちのはかりごとを王に告げて、打ち砕くこともできました。しかし、ダニエルは王に告げもしないで、悪い者たちに対抗もしませんでした。心の底から神を信頼して、禁令に王が署名されたことを知りながらも、いつものとおり日に三度、祈って感謝しました。
これは、ダニエルが誰にも害を及ぼすまいとする善なる心を持っていたからです。仮に自分にはかりごとを企む者たちによって害を受けて命を失うようになるとしても、自分としては彼らに害を及ぼすことができなかったのです。そして、生死禍福をつかさどられる方はただ神おひとりであることを完全に信じました。まさにこのような心が、神がご覧になって善なる心なのです。
もし皆さんが他人に害になると知りながらも、かまわず口にしたり行なったりするなら、これは善とはかけ離れているということを悟らなければなりません。心が善に変えられるほど、相手に害になったり心を傷つけたりするような言葉は自然にやめるようになります。「この話は今しないほうがいいだろう」と思ったり、ある意向をどうしても伝えなければならない場合は、善なる表現で遠まわしに言うようになります。
ところが、ある人は、直接相手に言わないけれど、親しい目上の人に、相手を心配するふりをしながらその人の弱点や短所を話します。相手のために話したと言うでしょうが、心が善なら、相手のそむきの罪をおおうようになります(箴言17:9)。このように、誰にも害を及ぼさないで、いつも相手の利益を求めるのが善なる心です。
2)申し訳ないと思っている相手の心を推し量り、その心を慰められる心
ダニエルの神への信仰は、悪い者たちも知っているほど信実で固いものでした。ダニエルは、禁令に王が署名されたことを知りながらも、神の御前に変わずに感謝して祈りました。それで、悪い者たちはただちに王の前に進み出て、ダニエルを訴えました。その時にやっと、王は禁令がダニエルを倒すために制定されたことを知って、何としてでもダニエルを救おうと努めましたが、力が及びませんでした。
王は大変寵愛している臣下を守ってやれなくて、獅子の穴に投げ込まなければならない悲痛な心を隠すことができませんでした。一晩中断食をして、食事を持って来させなかったし、また、眠けも催さなかったのです。
王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行ってダニエルに呼びかけました。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」ところで、これはどういうことでしょうか。獅子の穴の中から「王さま。永遠に生きられますように。」というダニエルの声が聞こえるのでした。そして、「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」と言うのでした。一言一言が王の心を慰めて喜ばせる、善の告白なのです。
ダニエルは王に対して、どんな恨みも、むなしさもいだきませんでした。かえって自分が獅子の穴に投げ込まれた後、どれほど胸を痛めて悲しむだろうかと心配しました。一晩中自分のことが心配で眠れなくて、明け方早く駆けつけた王に、ダニエルは「王さま。永遠に生きられますように。」と言って王をまず安心させて、神がどう働かれたかを申し上げたのです。
このように、心の良い人はそうするしかなかった相手の立場も理解し、少しも相手が申し訳ないと思わないように、話をして行ないます。教会でだけでなく家庭でも、このように善なる心をもって互いに仕えるなら、平和が破れたり、仲たがいする事は絶対起きないでしょう。他人がまず良くしてくれることを願わないで、自分がまず相手に良くしてあげるなら、行く所ではどこでも平和がつくられ、天国が臨むしかありません。
* まとめと適用
1. <ダニエル3:18>をみんなで覚えてみましょう。
2. ダニエルと三人の友だちの善に関する内容です。( )の中に正しい言葉を入れてください。
1. 神が( )ことならば、自分たちも徹底的に嫌った。
2. 命が脅かされても、( )を守るために絶対( )しなかった。
3. 自分にはかりごとを企んで殺そうとする相手にも( )を及ぼさなかった。
4. 申し訳ないと思っている相手の心を推し量り、その心を( )てあげた。
3.皆さんは相手を傷つけて害になると知りながらも、かまわず話すほうですか? それとも、何としてでも善なる言葉で相手が悟れるようにするほうですか?
* 今週の課題
次回はナアマン将軍の善について学びます。第二列王記5章を読んできましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「炉」とは?
石や粘土か、鉄で作られていて、金属などを溶解して製錬する溶鉱炉のこと。るつぼ。古代世界には人を火で焼いて殺す残忍な刑罰があった。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
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