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聖書の学び
Title
第3課「善悪の知識の木を置かれた理由」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2015-01-23
読むみことば: 創世記3:1_7
覚えるみことば: ヤコブ1:15
参考にするみことば: 創世記2:17
教育目標: 神が創造された人を取り、エデンの園に置き、園の中央に善悪の知識の木を置かれた摂理を調べてみる。
創造主の神の大なる愛と深くて妙なる人間耕作の摂理を知らない人々は「神様はなぜ善悪の知識の木を置いて、人を滅びの道に行くようにされたのですか」と聞きます。もし神が善悪の知識の木を置かれなかったら、人々がエデンの園で永遠に幸せに生きていただろうと思うからです。しかし、愛なる神がわざわざ善悪の知識の木を置いて、死の道に導かれたはずはありません。それでは、神がエデンの園の中央に善悪の知識の木を置かれた理由は何であり、アダムはなぜ死の道へ向かうしかなかったのでしょうか?
1. エデンの園でのアダムとエバ
神が最初の人アダムの鼻にいのちの息を吹き込んで、生きもの、すなわち、霊の生きているものに創造して、豊かなエデンの園で住むようにされました。園の中央にはいのちの木と善悪の知識の木もあり、いのちの水の川が流れていました。
神はアダムがひとりでいるのが良くないので、助け手として女であるエバを造って、一体となるようにされました(創世記2:18_25)。これはアダム自らさびしいと感じたからではなく、長い間おひとりでおられた神がアダムのことをあらかじめ察して施された愛であり、将来人間耕作のための神の摂理でした。
アダムとエバはエデンの園で神が下さったものを思いきり味わって、豊かに生きていました。ところが、ただ一つ神が禁じられたものがありました。それは、園の中にある善悪の知識の木からは取って食べてはならないということです。神はエデンの園の中央に善悪の知識の木を置いて、創造主の神と被造物である人の間に秩序をお立てになりました。はたしてどうなったでしょうか?
2. 蛇に惑わされて罪を犯したアダムとエバ
永い歳月が流れると、アダムとエバは神のことばを心に刻めなくて、善悪の知識の木の実を食べてしまいました。神に立ち向かおうと虎視耽々と機会をうかがっていたサタンが、あらゆる野の獣のうちで一番狡猾な蛇を用いて妻のエバを惑わすと、結局、夫のアダムも神のことばに聞き従わなくなったのです。
[創世記2:16_17]で、神はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と命じて仰せられました。
ところが、[創世記3:1]では、蛇が女に「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」と聞きます。この時、「園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」と答えます。
神は確かに「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と言われました。ところが、女が「あなたがたが死ぬといけないからだ」と言われたと神のことばを変えて答えると、蛇はさらに積極的に惑わします。「あなたがたは決して死にません。」と、神のことばを完全に否定します。それだけでなく、「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と再び惑わします(創世記3:4_5)。
このようにサタンが狡猾な蛇を用いて欲を吹き込むと、女は善悪の知識の木が以前と違うように見えました。つまり、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかったのです。結局、女は善悪の知識の木の実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べました(創世記3:6)。
ある人は「人に悪があったので善悪の知識の木の実を取って食べた」と言いますが、アダムとエバは聞き従わくなる前は全く悪がありませんでした。ただ自分で選択できる自由意志によって、善悪の知識の木の実を食べることもできるし、食べないこともできました。
ところが、永い歳月が流れながら神のことばを心に刻めないでいて、サタンが蛇を用いて惑わすと、善悪の知識の木の実を食べてしまったのです。このように神がお立てになった秩序に従わなかったので、悪が入って来ました。つまり、創造されたばかりの人に初めから悪があったのではなく、自由意志によって善悪の知識の木の実を食べたので罪が成立し、ついに悪が入ってき始めたのです。
3. 罪から来る報酬は死
[ローマ6:23]に「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則が記されています。はたして不従順の罪を犯したアダムとエバに、死がどのように臨んだのでしょうか? 神は確かに「必ず死ぬ。」と言われましたが、アダムとエバは不順従の後、直ちに死なないで、永い歳月を生きていきながら、多くの子どもを生みました。ですから、神が言われる死とは、単に息が絶えるからだの死ではなく、霊の死を意味するのです。
本来人は神と交われる霊と、霊に支配されるたましい、そして霊とたましいの幕屋であるからだで創造されました(第一テサロニケ5:23)。ところが、神の命令を破ったので、霊である神と交わっていた人の霊が死ぬようになったのです。このように罪によってアダムとエバの霊が死ぬと、これ以上神と交われなくなって、結局、霊の空間であるエデンの園から肉の空間であるこの地上に追い出されてしまいました。
この時から人類の苦しみが始まって、エバはうめきと苦しみが大いに増して、苦しんで子を産まなければならないし、しかも、夫を恋い慕い、彼に支配されることになりました(創世記3:16)。罪を犯したアダムは呪われたこの地上で一生苦しんで食を得なければなりませんでした(創世記3:17)。結局、アダムとエバは一握りの土に帰る人生になったのです。それで、罪を犯したアダムの子孫も罪人として生まれて、罪から来る報酬である死の道へ向かうようになりました(ローマ5:12)。
それでは、サタンに操られてエバを惑わした蛇はどんな呪いを受けたでしょうか? 神は蛇に「おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。」と言われました。ここで「ちり」とは、ちりで創造された人のことを言い(創世記2:7)、「蛇」とは敵である悪魔・サタンを意味しています(黙示録20:2)。神が蛇にちりを食べなければならないと言われたのは、闇の中で生きている人々が敵である悪魔・サタンのえじきになるという意味です。
世の人はもちろん、神の子どもだとしても、悪を行って罪を犯せば、敵である悪魔・サタンが働くので(第一ペテロ5:8)、試練や患難がやって来ます。さらに敵である悪魔・サタンは、神を信じながらもそのみことばを確信できない人々を惑わして、死の道へと導くのです。
4. 神が善悪の知識の木を置かれた理由
神が善悪の知識の木を園の最も中央に置かれた理由は、人が善悪の知識の木の実を食べて滅びの道に行くようにされるためではありませんでした。それはまさに、相対性を知るようにされようとする神の驚くべき摂理でした。
ほとんどの人はアダムとエバがエデンの園でとても幸せだっただろうと思います。しかし、アダムとエバは相対性を体験しなかったので、まことの幸せと愛を知りませんでした。豊かなエデンの園で多くを味わっていましたが、自分で汗をかいで苦労して得たものではなかったので、神が下さったものに対する大切さと感謝を知りませんでした。ですから、蛇に惑わされて、善悪の知識の木の実を食べる不従順の罪を犯してしまったのです。
結局、この地上に追い出されて、涙、悲しみ、苦しみ、不幸、死などを体験した後になってこそ、まことの幸せと不幸が何か確かに悟ることができました。ついに神が取って置かれたエデンの園での自由と豊かさがどれほど尊いものだったのかわかるようになりました。
このように相対性を体験してこそ、神のまことの子どもとなって、永遠に神と愛を分かち合えます。それで神は人に自由意志を下さり、エデンの園の中央に善悪の知識の木を置かれました。人が自由意志によって善悪の知識の木から取って食べても止めないで、人間耕作を通してこの地上ですべての喜怒哀楽を経験するように、摂理にあって計画されたのです。
罪を犯したアダムとエバはエデンの園から追い出された後、相対性を体験しました。それで、まことの愛と喜び、感謝が何かを悟って、神を心から愛して恐れるようになりました。このように、神は人が神の愛を悟ってまことの幸せを味わえるように、エデンの園の中央に善悪の知識の木を置いて、最初の人アダムとエバを通して人間耕作の摂理を成し遂げられたのです。
* まとめと適用
1.アダムとエバは神のことばに聞き従わないで善悪の知識の木の実を食べて呪われました。その過程を初心の方にもわかりやすいように説明してみましょう。
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2. 神がエデンの園の中央に善悪の知識の木を置かれた理由は何でしょうか?
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3. たいていの人は蛇を嫌いますが、そうなった原因は何でしょうか?
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* 今週の課題
皆さんは信仰生活をしながら、あるいは伝道をしていて、なぜイエス・キリストだけが救い主なのか、考えたり聞かれたりしたことがありますか? 人類の救い主になれる資格を満たす条件は何か、聖書のどこに書かれているのか調べてきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう
「自由意志(Free Will)」とは?
自分の行動と決定を自分で調節、コントロールできる力のことを言う。つまり、自分で選択して行動するように、神が人に下さった力と特権である。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
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