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主日礼拝 メッセージ > 主日礼拝
主日礼拝
Title
   2016年新年祈祷課題 (3) - 父の栄光が満ちている聖殿  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   詩篇37:6
Date
   2015-12-27


[本文]

[詩篇37:6]
「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」


[序論]

愛する聖徒の皆さん、1982年9月のある日、その日も変わりなく聖徒の皆さんは聖殿に集まって賛美と祈りをしていました。ところで突然、その場にいた方々に驚くべきことが起こりました。それは幻で、目の前に絵のように繰り広げられた、途方もない規模の聖殿を見たことです。
ある聖徒には聖殿の内部を、ある聖徒には屋根を、ある聖徒には前面を、また、ある聖徒には横と裏を、そして聖殿の周りを見せてくださいました。このように計17人の聖徒が見た幻を総合してみると、当時、十坪余りの開拓教会としては、あえて想像できない規模の聖殿だったのです。それがまさに、終わりの時、神様の栄光を全世界に現わす大聖殿でした。
そして、神様はこの途方もない大聖殿建築の使命を私たち万民教会の手にゆだねてくださいました。こうして私たちは開拓した1982年から、大聖殿の約束の成就を信仰によって望んで、絶えず祈ってきたのです。また、2000年からは神様が本格的に聖殿建築に関する祈祷課題を下さり、大聖殿の隠された摂理と成就する方法などについて詳しく教え始められました。そして、もうその大聖殿の実体が現れるしるしが一つ一つ具体的になっているのです。その中で最も重要で確かなしるしが、まさに変化の実として結ばれた皆さんです。
2000年から聖殿建築の祈祷課題で一様に強調してきたことが、まさに大聖殿建築を実現する聖徒が備えるべき資格でした。それは聖められなければならないということでした。また、このような子どもたちの手によってこそ大聖殿が建築されると伝えました。結局、大聖殿建築の核心は「聖められた子ども」です。
このために私たちは去る33年を備えてきたし、特に最近の5年余りの霊の流れを通して、今、信仰の岩に立ち、御霊の歩みに入り、全く聖なるものとされた聖徒が次から次へ出てきています。さらに今年2015年には、父なる神様が全く聖なるものの流れを通して、このような変化の流れをもっと急速に導かれたのです。そして、この流れがもっと激しくなる2016年が目の前に迫ってきました。
これがまさに、大聖殿建築の時が近づいていることを知らせる、最も明らかな証拠なのです。このように重要な時点に、皆さんすべてがもう一度「大聖殿の主役は私だ」という覚悟で熱くなりますように。それで、終わりの時、父なる神様の大いなる摂理を実現する大聖殿建築にあずかる栄光の道具となりますよう、主の御名によって祈ります。


[本論]

愛する聖徒の皆さん、きょう伝える2016年、第三の祈祷課題は「父の栄光が満ちている聖殿」です。[出エジプト40章]を読むと、神のことばに従って幕屋を完成したモーセとイスラエル人が神の御前に奉献式をささげる場面があります。この時、神様は幕屋に、その栄光を現わされました。[出エジプト40:34-35]に「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。」とあります。
また、[第二歴代7章]を見ても、ソロモン王が聖殿落成式で祈りを終えたとき、【主】の栄光が現れたことがわかります。[第二歴代7:1-2]に「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、【主】の栄光がこの宮に満ちた。祭司たちは【主】の宮に入ることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである。」とあるのです。このように神のみこころにあって建てられた聖殿には、神である主の栄光が満ちていました。
これを通して、神様がその聖殿をどれほど喜んでお受けになったのか、よくわかります。したがって「父の栄光が満ちている聖殿」という祈祷課題だけでも、私たちがささげる聖殿がどれほど父なる神様に喜ばれるのかわかるのです。それなら、具体的に「父の栄光が満ちている」という意味は何でしょうか?

第一に、御霊の人、全く聖なるものという実がぎっしりあることを意味します。
[詩篇11:4]に「【主】は、その聖座が宮にあり、【主】は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。」とあります。聖殿は創造主なる神の御名を置かれた所であり、父なる神様に誉れと賛美をささげる聖なる所です。それに、聖書66巻のみことばが伝えられる所であり、人々にいのちの糧を供給する所です。何より、霊である神様がご臨在して、被造物である私たち人と交わる聖なる場所です。まさにこのような聖殿がエジプトから出たイスラエル人を通して建て上げられた天幕から始め、ソロモン聖殿とゼルバベル聖殿につながったのです。ところが、この聖殿はみな破壊されてしまいました。
そして、神様は終わりの時に、まことの意味の聖殿建築を摂理のうちに計画されました。神様のかたちを取り戻した真実の子どもたちが、善と愛と光である主の心に似せられた子どもたちが、ささげる聖殿を受けようとなさったのです。
私はこのような父なる神様の摂理を知っていたので、開拓の時から変わらずに叫んできました。「悪はどんな悪でも避けなければなりせん」「罪と戦って血を流すまで抵抗しなければなりません」「御霊の歩みに入って、全く聖なるものの心を耕さなければなりません。」それとともに、罪について厳しく警告してきたし、愛の章、御霊の九つの実、八つの幸い、そして信仰の量り、霊・たましい・肉など、聖められるための核心的なみことばを教えてきました。
ところが、このような聖めのみことばを聞いても、霊的に目の見えない者で、聞こえない者のように、無感覚な人々も見受けられました。それで心が痛んで、力が抜ける時もありましたが、私はあきらめないで、叫んではまた叫んできました。
2010年、あの衝撃的な出来事にあった時も、私は全身でその衝撃を受けなければなりませんでしたが、皆さんが御霊の歩みに入り、全く聖なるものとされるという期待を捨てなかったのです。気が尽きてしまっても、機会があるたびに私は絶えず叫びました。
そうして過ぎた5年余りの間、本当に人としては耐えがたい歳月を過ごしてきた私の前には、まことに尊い実が待っていたのです。それはまさに、今は牧者の心を知って、牧者と信頼で一つになって、力になってくれる主のしもべと働き人、聖徒たちでした。全く聖なるものとされた実、御霊の歩みに入った実でした。
これまで講壇でひとりで叫んできたみことばを、今はその方々が私と一つの心になって叫んでいます。また、牧者の心をもって聖徒を顧みていて、教会の各部署のかしらの方々が牧者の心に合わせて組織を導いているのです。教区と宣教会でも、かしらの人たちが魂を霊的に導いています。
このように父なる神様は牧者と一つになった人々を主軸にして、より多くの人が信仰の岩に立ち、御霊の歩みへと、全く聖なるものとされるように導いておられるのです。これを通して変化の実がぎっしりあって、父なる神様の栄光が満ちている聖殿が建て上げられるのです。

愛する聖徒の皆さん、「父の栄光が満ちている」という意味は第二に、牧者と一つになった人々を通して父なる神様の栄光が大いに現れるということです。
新年第二の祈祷課題を伝える時も、「万民を救いに導く主役」になるためには、完全な信頼を強調しました。牧者と信頼で一つになった人々が、ハンカチを持って世界のあちこちに出て行き、神の力ある働きにあずかるようになると言いました。
その時、少しでも「私がやった。私がやり遂げた」という心がなく、ただその栄光を父なる神様にだけ帰せる心が、まさに完全な信頼に基づいて作られるのです。牧者への完全な信頼があるとき、これらすべてが牧者を通して与えられたことを認めるようになる、ということです。
このために父なる神様は2015年に、それぞれの分野で訓練を受けることを許されました。牧者を愛するという告白と、牧者から受けた恵みに対する感謝が真実になるまで、各自が必要な公義を満たすようにされたのです。牧者の犠牲の代価によって信仰の岩、御霊の歩み、全く聖なるものという実となったとしても、それを完全なものにするためには、必ず自分が満たすべき分があるからです。
こうして、完全な信頼と愛によって変えられた人々が、ただ神の栄光のために献身するとき、その栄光が全世界のあちこちに現れるようになります。それで、[ハバクク2:14]に「まことに、水が海をおおうように、地は、【主】の栄光を知ることで満たされる。」とあるように、全世界の救われるような数えきれない魂がその栄光を見て、神様の御前に出てくるようになるのです。これがまさに父の栄光が満ちているという意味であり、これらのことが皆さんによって実現されるとき、父の栄光が満ちている聖殿になるのです。

愛する聖徒の皆さん、それなら父の栄光は具体的にどう現れるでしょうか?
私が再創造の力100を完成するなら、その時は皆さんが私と一緒に果たすべき働きが本当にものすごいものでしょう。その時、牧者の実となった人々が最先頭で牧者に現われる神の力を持って出て行き、この働きにあずかるようになります。全世界のあちこちに、また、韓国国内のキリスト教界に、そして各自に任された働きの場に出て行き、魂の救いに先立つようになるのです。
その時、[ヨハネ15:8]に「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」とあるように、父の栄光が大いに現れることになります。このような働きは必ずしも主のしもべだけがするのではありません。教区と宣教会の働き人も、単に聖徒の管理だけをしていてはなりません。皆さんも御霊の人、全く聖なるものという実となって、権威とともに現れる力をもってこの働きにあずからなければならないのです。
牧者の初めの声により頼んで、権威あるみことばによって人々の自由意志を曲げ、たましいと霊、関節と骨髄を刺し通して、人々を変えさせなければなりません。ハンカチで祈ると悪霊が出て行き、病気がいやされ、問題が解決されるなど、炎のような聖霊のみわざが伴わなければならないのです。このような働きができるためには、いろいろな分野で後押しする働き人が必要です。働きの現場で一緒に走って助ける人も、行政的な業務で助ける人も必要です。技術や才能で助ける人も必要です。
ところで、このように助ける人であっても、結局は皆が御霊の人、全く聖なるものという実となって、神の力ある働きをともに実現しなければならないのです。
たとえば、芸能委員会の賛美を通して神の恵みと感動が臨むとき、聞いて見ている人々に心を砕いて罪を告白するみわざが起こって、捕らえていた闇の勢力が離れるようになります。放送分野でも、権威と力ある番組を作って数多くの魂を目覚めさせ、変化といのちに出てくるようにすることができます。肉的な技術と知識だけを土台にする放送と、変えられた人たちが神の力に支えられて天の知恵をいただいて作る放送とでは、全く違う次元のみわざが現れるのです。
行政的な業務をする部署も同じです。案内や安全を担当する部署も、皆さんが権威と力に支えられるとき、ひょっとしてでも教会に害を加えようとしてきた人たちが一つの道から来ても、七つの道に逃げ去るのです。わずかの申し訳ないことも起こらないように守られて導かれるのです。
また、財政、IT、教務などをはじめ、行政とそれ以外の教会の部署も、皆が神の力を受けて使命を果たすとき、魂を愛する心と一緒に天の知恵によって示されるので、最も良い道に導かれて支えられるのです。
それなら、聖徒の皆さんは何をもって栄光を帰すでしょうか? 皆さんがこのような実に変えられるなら、[第一コリント10章31節]のように、食べるにも、飲むにも、何をするにも神の栄光を現すようになります。また、[マタイ5:16]に「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」とあるように、皆さんの持ち場で良い行いをして光を放ち、キリストの香りを放つようになります。そうする時、皆さんを通して神様の栄光が現れて、私たちの教会の名がほめられ、数多くの人々がこの教会に向かうようになるのです。
また、小学生、中高生、青年ならば、[申命記26:19]に「主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民となる。」とあるように、皆さん各自のいる所で教会の名を高くあげるようになります。このように皆さんを通して父の栄光が全世界に伝えられる日がどれほど楽しみでしょうか。

愛する聖徒の皆さん、大聖殿建築はそれだけでも人間耕作の歴史において、神様の栄光を現わす偉大な実です。ところで、このような大聖殿を建築する時になれば、御霊の人、全く聖なるものとされた皆さんを通しても、父なる神様の栄光があちこちに満ちるようになります。このようにそれぞれの持ち場で神様の栄光を現わす皆さんが集まった聖殿、そこがまさに大聖殿です。ですから、この大聖殿はそれだけでも、またその中に集まった皆さんによっても、父なる神様の栄光がどれほど満ちているでしょうか。
たとえを挙げてみましょう。オリンピックで優勝をすると、選手個人に金メダルの栄光が与えられるだけでなく、その選手の国にとっても栄光になるし、その国の名はさらに高くなります。そして、最終的に金メダルを一番多く占めた国が最も大きい栄誉を得ることになります。
同じように、尊い訓練を通して金のように出て来た皆さんが、全世界に出て行き、父の栄光を現わすとき、皆さん個人はもちろん、この教会にも大きい栄光と報いになるのです。父なる神様はまさに父の栄光が満ちている聖殿を通して、このように皆さんひとりひとりにも、そして私たちの万民教会にも、この上なく大きい栄光と報いを与えることを望んでおられるのです。
2016年は第三跳躍期が本格的に始まり、皆さんと私たちの教会を用いて、父の栄光が満ちている聖殿が繰り広げられる年になります。そうする時、目に見える聖殿ももっとはっきり現れるようになるのです。その栄光の瞬間のために、2016年はさらに火のように祈ってくださいますように。


[結論]

愛する聖徒の皆さん、終わりの時、この教会を通して実現される大聖殿建築は、それだけでも意味がありますが、それを建て上げていく主体である皆さんを通して結ばれる実によって、さらに大きい意味を持ちます。すなわち、大聖殿建築で父なる神様の栄光が大いに現れるだけでなく、その聖殿にぎっしりある御霊の人、全く聖なるものとされた人という実、そしてその人たちが果たすようになる働きを通して、神様の栄光が全世界に満たされるようになるからです。
きょうの本文[詩篇37:6]に「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」とあるように、私たちを用いて神様の栄光を現わす輝くみわざが繰り広げられていくのです。
その栄光の日を、皆さんと一緒に迎えることを私は切に望んでいます。この全く聖なるものの流れから誰ひとりも落伍せずに、今まで一緒だった私たちみながその栄光を必ず味わいますように。2016年にはもっと力強くこの流れに乗って、すみやかにこの全く聖なるものの隊列に合流しますように。それで、最も美しい栄光が満ちている新しいエルサレムでもとこしえに離れないでいますよう、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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